縁側論ー開き戸と引き戸

 昨日、縁側のところで、開き戸ではなく、引き戸にしようと思うと書いた。風呂に入りながら考えた。どうして引き戸なのか。
 一番大きな理由は、引き戸が「ずっと開け放しておける戸」であることだ。開き戸の場合、開け放しておくには、床と戸の間にストッパーを噛ませるか、ドアノブを壁に留めるなどの手間が必要である。そうしないと、戸は風などで閉まってしまう。それに引きかえ、引き戸は何もしなくても開け放しておくことができる。ワンクッション必要な開き戸とそのままで開け放しておける引き戸。そのワンクッションがめんどくさいというよりも、どちらが開け放しておくのに自然な戸なのか、適しているのかということである。おそらく、開き戸の場合は、開け放すことを前提としていない。大きな荷物を運んだり掃除をするときだけ、ストッパーを噛ませておけばいい。そして、引き戸は開け放した状態を保つための戸だとも言える。日本の夏は高温多湿であるため、夏場はできるだけ開け放しておきたいという、気候の問題があるのだと思う。昔、夏の夜などは戸も締めずにそのまま寝ていた。そのことが結局、内と外との境界をあいまいにしているのだ。「何」が入ってきてもおかしくない環境。外のものにとってみれば、家の中に出入りすることは自由で、内の人々はそのことにとても寛容だったのだと思う。開き戸と引き戸の違いは、もっと言えば、「内と外とをきちんと分ける文化」と「内と外の区別があいまいで、行き来するものに頓着しない文化」の違いのような気がする。
 ぼくはこの小屋を、後者のような場所にしたいと思う。だから、引き戸なのだ。