一枚の絵


「母の誕生日に、昨年亡くなった祖母の絵を贈りたい」
という依頼を受けて描いた一枚。
依頼してださった方のため、そのお母さんのために描いていたはずが、
亡くなったおばあさんのために描いているような、おばあさんと言葉を交わしているような不思議な気分になった。
絵は描く対象との対話なのだと、気付かせてくれた。
この絵を描きながら思っていたことは、
数年前に描いた一枚の絵だった。
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会社を辞め、フリーランスになったばかりの頃、ひとりの女性から連絡があった。
女性のお母さんが末期がんで、もうすぐホスピスに入るのだという。
会って話しを聞くと、彼女はまだ若く、ぼくと同じくらいの年頃だった。
あるレストランで展覧会をしたときに飾っていた農作業小屋の絵が印象に残っていて、
ホスピスの部屋にその絵を飾りたいというのだった。
しかしその絵はお世話になった人にお礼として贈ったもので、もうすでに手元になかった。
そこで、その絵の雰囲気を大切にしつつ、自分の故郷の農村風景の絵を描くことにした。
それは自分にとってとても大切な風景だったからだ。
これから亡くなろうという人のために、最期の部屋に飾るために、自分はどんな絵が描けるだろう。
自分の絵は、その人にとってどんな力になれるだろう。
悶々と自問しながらも、当時20歳半ばの自分にそんなことはわかるはずはなく、
とにかく、ひと筆ひと筆に魂を込めて描いた。
今でもその自問に対する答えはわからないけれど、
それは絵描きにとって究極的な絵だったのかもしれないと、今思い出しながら思う。
そして、誤解を恐れずに言うのなら、
最期のときを迎える部屋に自分の絵を飾りたいと言ってもらえることは、
自分にとって、この上ない喜びでもある。
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今は亡き人の絵を、今を生きる人のために描く。
これもまた、絵描きにとって究極的な絵なのだと思う。
そんな絵を描かせてもらえたことに、多謝。