「渡り」ということ


最近、というかけっこう前からだけれど、
梨木香歩づいている。
数日前に読み終えた『渡りの足跡』。
渡り鳥を追って旅したエッセイである。
人は、政治的な理由から「渡る」ことができない場所があり、
逆に政治的な理由から「渡らざるを得ない」こともある。
渡り鳥は国境も関係なく、
かなりの長距離を何日もかけて飛び続ける。
ふと、窓の外を見る。
この中には、遥かシベリアから渡ってきた鳥たちもいるのかもしれない。
彼らはどのようにしてその足跡を辿り、
毎年同じ場所へと旅をするのか。
そして、渡りをしない鳥の中にも
なぜか渡りを行う個体が出てくるのだという。
経路から外れる鳥もいる。
本書の後半で、
日本人移民の話が出てきた。
アメリカに渡られた人々の物語で、
強制収容所に送られ、
その間に殺された人々もいた。
学生時代、カナダの日本人移民の物語を追って旅をしていた。
カナダ西海岸、クイーンシャーロット諸島に辿り着き、
そこで暮らすハイダ族を雇ってサケの缶詰工場を営んでいた日本人の物語である。
その旅の中で、かつてカナダの強制収容所に連れられたというおばあさんからお話を伺う機会があった。
あれから5年ほどが経ち、
仕事に追われる中で、
すっかりその旅で出会った人々から遠ざかっていることに気がついた。
そして、そのような物語を追い、
物語として表現することが、
自分のしたい仕事のひとつなのだと思い出した。
旅をして物語を紡ぐ自分自身もまた
「渡り」なのかも知れない。